本のまとめ「読むだけですっきりわかる世界史近代編(後藤武士)9」

ウィーン会議とヨーロッパの再編成

 

ナポレオン戦争後の国境と国家体制、国際秩序回復のために1815ウィーン会議が開かれる。議長はオーストリアメッテルニヒ。1国が強くならないように均衡化を図りたいが各国の利害がぶつかり「会議はおどる、されど進まず」状態。ナポレオン百日天下に危機を感じ1815議定書締結。
1 フランス・スペイン・ナポリブルボン朝復活
2 フィンランドモルドバがロシア領に
3 ワルシャワ大公国がロシア領ポーランド立憲王国に
4 プロイセンが大幅領土拡大
5 スイスが永世中立国
6 オランダが南ネーデルラントの割譲を受けてオランダ立憲王国に
7 北イタリアのロンバルディアヴェネツィアオーストリア領に
8 連合体としてのドイツ連邦発足
9 旧オランダ領のスリランカ・ケープ植民地をイギリス領に

イギリス・ロシア・プロイセンオーストリアに有利。イギリス・ロシアが世界を牽引、プロイセンオーストリアドイツ統一をめぐる争い。
ウィーン体制維持のための2つの軍事同盟結成。ロシア皇帝提唱のキリスト教正義に基づく精神的盟約である神聖同盟。先程の4カ国(後にフランスも)の四国同盟。

 

 

ウィーン体制への反動
フランス革命とナポレオンの支配は自由主義ナショナリズムを引き起こす。
ドイツ:ブルシェンシャフト(ドイツ学生同盟)が結成され自由と統一を求める動きが起きるも鎮圧される。
イタリア:秘密結社カルボナリが統一を目指す運動を起こすもオーストリアに鎮圧される。
スペイン:軍人リエゴによる革命政府が樹立するもフランス軍に破れ自由主義の三年間は終わる。
ロシア:農奴制廃止などを求めてデカブリストの乱が起きるも鎮圧される。

ラテンアメリカ諸国の独立
ラテンアメリカ進出を狙うイギリスの思惑や新大陸への不干渉をモンロー教書で主張したアメリカの影響で順次独立を果たす。
最初が西インド諸島のハイチ。南米北部ではクリオーリョ(植民地生まれの白人)であるシモン・ボリバルによりパナマベネズエラ・コロンビアの大コロンビア。後にエクアドルボリビア。南米南部ではサン・マルティンによりアルゼンチン・チリ・ペルー。中米ではイタルゴやイトゥルビデによりメキシコ。
ブラジルはポルトガル王室が大陸封鎖令に逆らっている時期にブラジルに逃げてそのまま独立。下からの独立であるこれらの国とは違ってブラジルは上からの独立だった。

 

 

七月革命
ブルボン王朝が復活してルイ18世シャルル10世アルジェリア出兵で少しは国民の不満も和らいだ)とアンシャン・レジーム信奉復活主義者が続き国民の不満が高まり退位に追い込まれ、オルレアン家自由主義者ルイ・フィリップによる政変七月革命が起きる。
その影響でベルギーがオランダから独立。ドイツはオーストリアに、イタリアはオーストリアに、ポーランドはロシアに鎮圧される。イタリア統一運動の主流はカルボナリから青年イタリアへ。

 

 

イギリス
ウィーン会議後様々な改革を実施。
穀物法:大陸封鎖令解除後、他国から安い穀物が大量に入ってくるのを防ぐために輸入穀物に高い関税をかけて地主層を保護。後に東インド会社に認められていた中国貿易独占権が撤廃されて廃止。
カトリック教徒解放法:カトリックが多いアイルランドを併合して、カトリックも公職につけるようになった。
第一回の選挙法改正:工業都市の発展により農村と都市の人口分布に大幅な変化が起きて選挙区を再編成。しかし労働者の参政権は認められなかったので人民憲章(男性普通選挙の実施などを6箇条からなる)を提出するチャーティスト運動が盛んになる。
さらに航海法の廃止など一連の自由貿易政策の実現で地主層より資本家層の力が強まる。

社会主義思想の発達
機械の発達により打ちこわし運動(ラダイト運動)が起きる。
ロバート・オーウェンは工場労働者の待遇改善を訴えて組合を結成。1833工場法が制定され労働者の保護が認められた。これが社会主義の考え方に繋がりサン・シモンやフーリエが続き、後に揶揄をこめて空想的社会主義と呼ばれた。また無政府主義アナーキズム)という考え方も生まれた。
科学的社会主義と自称したのがマルクスエンゲルス。「共産党宣言」「資本論

 

 

二月革命
金持ちしか選挙権がない状態のフランスは政治集会も禁じられる中、パーティーの名目で政治活動を行い不満を持つ民衆が革命を起こしてルイ・フィリップは逃げ出す。二月革命。第二共和制。国立作業場を作るなどの社会主義的政策が失敗して政権が流動状態にある中で期待されて当選したのがルイ・ナポレオン。軍部を掌握しクーデタを実施、皇帝になりナポレオン3世を称する。第二帝政

 

三月革命・諸国民の春
二月革命の影響はヨーロッパ中に波及する。
オーストリアウィーン体制保守主義の主導者でもあるが、市民や労働者がメッテルニヒを失脚に追い込む。
ハンガリーベーメンポーランドオーストリアからの独立を目指すも失敗に終わる。
ドイツ:諸邦の代表が集まりフランクフルト国民議会が開かれ、オーストリア含む統一の「大ドイツ主義」とオーストリアなしの「小ドイツ主義」が対立し小ドイツ主義が採用されるも自由主義的な憲法プロイセン王が反対し統一できず。
イタリア:マッツィーニの青年イタリアがローマ共和国を樹立するもフランス軍に鎮圧される。
イギリス:チャーティスト運動やアイルランド蜂起が起きたが体制を変えるには至らず。

 

 

東方問題とロシア南下政策
オスマン帝国衰退に伴い支配下諸民族が独立の動きを見せる。東方問題。
エジプトがシリア領有をめぐり宗主国オスマン帝国と戦争。1831第一次エジプト・トルコ戦争。オスマン帝国がロシアに協力を求めてダーダネルス・ボスポラス海峡をに布陣したがイギリスの反対で休戦。翌年に第二次エジプト・トルコ戦争が起きてイギリスが介入、エジプトの独立は認められず海峡は外国軍艦通行禁止となった。しかし1853ロシアがギリシャ正教徒保護を口実にオスマン帝国に戦争をけしかける。クリミア戦争。イギリスやフランスはオスマン帝国を支持したためロシアは敗れる。この戦争で活躍したのがナイチンゲール
講和条約であるパリ条約でロシアは国会沿岸に基地を持つことや後にルーマニアとなった土地の放棄も決定された。
近代化の必要性を感じたロシア皇帝アレクサンドル2世は農奴解放令を発布。知識人階級インテリゲンツィアによりヴ・ナロード(人民の中へ)を標語にした改革、ナロードニキ運動が起きるもうまくいかず、近代化は思うようには進まなかった。

 

 

パックス・ブリタニカ
イギリスはヴィクトリア女王1837〜1901のもと世界の工場の地位を確立し軍事力や政治力でも圧倒的な力を持つ。他国は立憲や自由化で右往左往していた時期に二大政党制を確立。保守党ディズレーリと自由党グラッドストンにより重要政策が実施される。第二回選挙法改正では都市の男性労働者に第三回では農業と鉱山労働者に選挙権が与えられた。教育の充実や労働者の地位も高められた。
アイルランドでは貧困が続き解放運動が起きてアイルランド自治法案が提出されるも認められず独立運動は激しくなった。と同時に多くの人がアメリカに脱出した。

 

 

イタリア統一
上からと下からの運動で統一がなされた。下からはマッツィーニの青年イタリア活動、鎮圧されるも原動力となった。
上からがサルディーニャ島と北イタリアを支配していたサルディーニャ王国。ヴィットーリオ・エマヌエーレと首相のカヴールにより工業化や外交に力を発揮。利害関係のないクリミア戦争に参戦し英仏に恩を売る。さらにフランスにサヴォイアとニースを割譲する代わりにオーストリアとの戦争に協力してもらうブロンビエールの密約を交わす。しかしオーストリアとの戦争でロンバルディアを奪還するとフランスが約束を反故にして戦線から撤退してしまう。サヴォイアとニースの割譲は実行されたのでこれに失望したニース出身青年イタリア所属ガリバルディが赤シャツ隊を組織し両シチリア王国を占領しヴィットリオ・エマヌエーレに献上。こうしてイタリア王国成立。1866ヴェネツィア、1870教皇領を占領。教皇は「ヴァチカンの囚人」オーストリア支配下トリエステなどは「未回収のイタリア」と呼ばれる領土問題となる。

 

 

ドイツ統一
ドイツ関税同盟発足や小ドイツ主義の採用が統一の後押しとなる。 ヴィルヘルム1世がプロイセン王に就任すると宰相にユンカー出身のビスマルクを任命。問題は鉄と血により解決するという鉄血政策を採用。ウィーン会議で手に入れたラインラント地方に大軍需企業を展開。
オーストリアを誘いデンマーク南部のシュレスヴィヒ・ホルシュタイン地方を占領・支配下におき、オーストリアとも戦争(普墺戦争)し圧勝する。軍人大モルトケが活躍。プラハ条約でオーストリアの介入しない北ドイツ連邦が成立。多民族国家オーストリア内でも独立運動が起きて妥協しオーストリア・ハンガリー帝国となる。
オーストリアを排除した後に邪魔なのがフランス。スペイン王プロイセン王と同じホーエンツォレルン家から出す試みが失敗したプロイセンビスマルクがヴィルヘルム1世とフランス大使のやりとりを巧妙にでっち上げて戦争に持ち込む。これにより普仏戦争が始まりプロイセンが圧勝。敵地ヴェルサイユ宮殿ドイツ帝国の成立を宣言、ヴィルヘルム1世のカイザー即位式を行う。フランスはアルザス・ロレーヌ地方を割譲し莫大な賠償金を払う屈辱を受け入れさせられる。

 

ビスマルクの内政
文化闘争と呼ばれるカトリック教徒への弾圧。工業の発展に伴い社会主義運動が興り社会主義鎮圧法を制定、弾圧に努める。
その反面、疾病保険法や災害保険法、養老保健法などの社会主義者が望むような政策を実現する。貿易においても保護関税法を制定し国内産業を保護、資本家とユンカーの利益を結ぶ。「鉄と穀物の同盟」と呼ばれる。

 

 

フランス
第二帝政ナポレオン3世は人気維持のため内政では鉄道敷設、万博開催、エッフェル塔建設などを行い、対外的にはクリミア戦争・アロー戦争・イタリア統一戦争などで成果を得て人気が高まる。レセップスによるスエズ運河建設にも積極的だった。しかしメキシコ戦争でしくじり普仏戦争で敗れて第二帝政は終わる。この後、世界史上初の労働者による自治政府パリコミューンができるもドイツ軍に鎮圧される。その後は第三共和制が始まる。

 

 

ビスマルクの外交
フランスの孤立化を目的とする。オーストリア・ロシアと三帝同盟を組む。しかしオスマン帝国から独立を目指し汎スラブ主義を掲げ南下を図るロシアはオーストリアと対立する。1875ロシアとオスマン帝国露土戦争を開始、英仏の介入がないのでロシアが勝利。サン・ステファノ条約で南下政策も成功したロシアに脅威を感じたイギリスとオーストリアが干渉する。その状況で「誠実な仲買人」を自称してビスマルクがあベルリン会議を開催、ベルリン条約でロシアは1人損となる。ロシアとは単独で再保障条約を、イタリア・オーストリアとは三国同盟を締結しフランス孤立を実現。ビスマルク体制と呼ばれる。

 

 

国際運動の進展
19世紀は社会主義運動の国際的な繋がり第一インターナショナルマルクス指導のもと結成。パリコミューンを支持し圧力を受けて崩壊。第二インターナショナルも第一次大戦で崩壊。1863ナイチンゲールの活動からの赤十字条約が発足。1896国際オリンピック大会も始まる。戦争法のハーグ陸戦条約が採択、国際仲裁裁判所が設けられたがあまり機能しなかった。