本のまとめ「読むだけですっきりわかる世界史近代編(後藤武士)8」

産業革命アメリカ独立、フランス革命

 

産業革命
ノーフォーク農法を採用し、第二次囲い込みが実施された。農業革命。
資源と資本に恵まれ、植民地で原料供給地と市場を抱え、工業技術が発達し生産力向上、社会構造が大きく変化。産業革命
従来の毛織物ではなくインドからの綿の輸入で綿織物工業が盛んに。

ジョン・ケイの飛び杼。失業者に恨まれる。
ハーグリーブスのジェニー紡績機。恨まれる。
アークライトの水力紡績機。大富豪に。
クロンプトン。ジェニーと水力のいいとこ取り。特許申請せず。ラバからのミュール紡績機。
カートライト。蒸気での力織機。飛び杼の3.5倍。

蒸気機関
ニューコメン。改良型をワット。
機械工業、鉄鋼業が発展。それに伴い石炭業も
蒸気機関車ティーブンソン。蒸気船アメリカのフルトン。交通革命。
産業革命により機械制工場が盛んに。資本主義体制の確立。資本家と労働者の格差が生まれる。
いち早くイギリスが世界の工場に。遅れてフランス・ベルギー・ドイツやアメリカ。

 

 

アメリカ独立戦争
イギリス王ジョージ三世が植民地への課税として砂糖法と印紙法をつくる。代表なくして課税なしとして反発。また東インド会社経由のお茶が関税なしとなり、お茶が売れなくなった植民地側が憤り、1773ボストン茶会事件が起きる。本国の厳しい措置に追い詰められフィラデルフィアで13植民地の代表で大陸会議を開催。フィラデルフィアは平和主義クウェーカー教徒が建設した街。
1775植民地側は通称断絶同盟を結成、本国は反対し、武力衝突発生。アメリカ独立戦争の最初の一戦、レキシントンの戦い。互角に終わる。植民地側はワシントンをリーダーに徹底抗戦。文筆家トマス・ペインの「コモンセンス」などで独立気運高まる。
1776 7月4日13植民地代表はトマス・ジェファーソン起草の独立宣言を採択。世界の人権思想の発達に大きく貢献。地力ではイギリス有利だが、フランクリンのロビー活動でルイ16世のフランスが味方になる。その後、エカチェリーナ二世のロシアやオランダ、スペインもなどもアメリカを支援し独立軍はイギリスに勝利。1783パリ条約でアメリカ独立を認める。しかし13州の意向はまとまっていなかったので地方分権的なものだった。
1787世界最初の近代的成文憲法であるアメリカ合衆国憲法制定。人民主権大統領制、二院制、三権分立、連邦制など。連邦制発足、初代大統領はワシントン。

 


フランス革命ルイ16世

アンシャン=レジーム体制での浪費や対外戦争での戦費などで財政危機で王位を継いだルイ16世。聖職者などの特権階級者への課税を反対したことから三部会が開かれるが議決方式で揉める。シェイエスの第三身分こそ全てという主張に勇気づけられた第三身分は球技場で三部会とは国民議会を開き、憲法制定を要求する球技場の誓いをたてる。

ルイ16世が第三身分で人気のあったネッケルを罷免したことで市民が立ち上がる。パレ=ロワイヤルにいたカミーユの演説に載せられた民衆が1789年7月14日バスティーユ牢獄を襲う。革命の空気は全土に広がり改革が進んだ。
ラ・ファイエットミラボー起草の人権宣言が採択される。
国王とマリーアントワネットは実家のオーストリアへの亡命途中、ヴァレンヌの街で捕まる。オーストリアは国王を守るためフランスに圧力をかける。ピルニッツ宣言。

1791憲法が制定され、国民議会の代わりに立法議会ができる。穏健派のフイヤン派と共和制を望むジロンド派が対立し、ジロンド派が政権をとりオーストリアに宣戦布告。これ以降ヨーロッパ相手に四半世紀の戦争に入る。正規軍がボロボロに負けるとフランス国民が志願して義勇軍が作られた。この時に歌われたのがラ・マルセイエーズ。8月10日テュイルリー宮殿に襲撃。王権の停止を宣言する。
寄せ集めフランス軍プロイセン軍に勝利。文豪ゲーテは「この日、この場所から、新しい歴史が始まる」と言った。
立法議会に代わり、選挙による国民公会が成立し共和制を宣言。第一共和制。ジロンド派が多数となり裁判でルイ16世は死刑と決まった。1793パリの革命広場で処刑された。

国王が処刑された事で周りの国が第一回対仏大同盟を結成。内でも格差是正や物価高騰に苦しむ人々の暴動や反乱が起きた。この状況で権力を握ったのがジャコバン派ロベスピエール。血塗られた恐怖政治が始まる。恐怖政治のフランス語テルールはテロの語源。公安委員会や革命裁判所などの仕組みで王党派や反革命勢力だけでなく同じジャコバン派でも非主流派やライバル達が次々に断頭台に送られた。反動が起こり1794テルミドールロベスピエールが逮捕され死刑となった。

 

ナポレオン
中途半端な穏健共和派が政権を握ると、最高価格令撤廃で物価が再度高騰し民衆が蜂起し王党派も立ち上がった。それを鎮圧したのがナポレオン=ボナパルト
クーデターを鎮圧したりイタリア遠征でオーストリア軍を破ったりで、英雄となった。次はエジプト遠征を行なったが、第二回対仏大同盟を結成したネルソン率いるイギリス軍に敗れる。エジプト遠征でロゼッタストーンを発見。

国民公会に代わり総裁政府が樹立したが腐敗にまみれた。火付け役のシェイエスがそれを打破するためナポレオンの力を借りてクーデタを実行。権力を握るとシェイエスの目論見を壊し、終身統領となり政治能力の高さも発揮した。教皇との和解、イギリスとの講和(アミアンの和約)、信教の自由、銀行設立、商工業振興、教育制度確立、ナポレオン法典の交付など。ナポレオン法典近代法の原理を集約した完成度の高いものだった。
1804皇帝となりナポレオン一世となった。これより第一帝政

今までとは毛色が全く違う皇帝誕生に周りが第三回対仏大同盟結成。ナポレオンはイギリス本土を叩くためネルソンとのトラファルガー海戦で戦うが、フランスは敗れる。しかしアウステルリッツの戦いで負けを取り返す。ロシア皇帝神聖ローマ皇帝率いるオーストリアとの三帝会戦で勝利。ライン同盟というナポレオンの傀儡連邦を成立させる。プロイセン軍にも勝利しティルジット条約で傀儡国家を形成するなど、イギリス以外のヨーロッパほぼ全土を勢力圏とした。
しかしナショナリズムがあちこちで起きてイギリスを困らせるための大陸封鎖令で逆に困った大陸側からの抵抗が強くなった。密輸していたロシアを封じるためのロシア遠征で大失敗。連合軍とのライプツィヒの戦いでも敗れる。退位させられエルバ島へ追放になった。
フランスはブルボン家復活、ルイ18世が即位。ナポレオンでぐちゃぐちゃになった国境をどうするかのウィーン会議中にナポレオンは脱出し皇帝に復位するが連合軍にワーテルローの戦いで敗れセントヘレナ島へ流される。百日天下