本のまとめ「読むだけですっきりわかる世界史近代編(後藤武士)6」

イギリス革命と啓蒙専制君主

 

イギリス
エリザベス1世テューダー朝が途絶え、スコットランドジェームズ1世によるステュアート朝が始まる。王の権利は神から授かったものとすふ王権神授説を唱え議会やカトリックピューリタンカルヴァン派)を制限。息子のチャールズ1世も同様だったので議会が王権を制限する「権利の請願」を可決。これを無視し、新教徒への国教会の強要などで反乱が起きる。議会を開くも王党派と議会派が対立し内戦状態となる。長老派、独立派、水平派の3つの議会派の内、クロムウェル率いる独立派が他派と王党派を倒し共和政を実現する。清教徒革命(ピューリタン革命)。アイルランドスコットランドも征服する。

 

英蘭戦争
中継貿易で富を築いていたオランダを締め出すためにイギリスは航海法を定める。貿易船にイギリス人オーナーかイギリス製の船か多くのイギリス人船員であることを求めた。反発したオランダとの間で英蘭戦争が起きる。イギリスの勝利。宗教より商業がじゅうしされる重商主義が盛んになり貿易相手国の植民地が必要となる時代になった。
クロムウェルは護国卿という地位につき、イギリスの植民地拡大に成功する。
息子はダメ王だったので追放されチャールズ1世の息子がチャールズ2世として即位。王政復古。カトリック擁護だったので議会は審査法(公職就任者な国教徒に限る)や人身保護法(法によらない逮捕や裁判禁止)を定める。

 

名誉革命権利の章典
息子のジェームズ2世カトリック信者だったので王擁護のトーリ党(後の保守党)と議会重視のホイッグ党(後の自由党)が対立。ジェームズが専制政治の復活を図ったので議会がオランダから新教徒のジェームズ2世の娘メアリと旦那のウィレム三世を招集。メアリ二世、ウィリアム三世として共同統治することになった。血を流さない革命だったので名誉革命と呼ばれる。また王といえども法に逆らえない「権利の宣言」を採択、法文化したのが「権利の章典」と呼ばれる。

 

グレートブリテン王国
後継はメアリの妹アン女王。正式にスコットランドと併合してグレートブリテン王国となる。対外戦争ではスペインハプスブルク家断絶後をルイ14世が息子を王にしようとしてオーストリア・イギリス・オランダが反発して起きたスペイン継承戦争や新大陸でスペインとアン女王戦争が起きる。共に勝利しアシエントと呼ばれる奴隷供給契約権を手にし、ニューファンドランド島ハドソン湾地域・ミノルカ島・ジブラルタルを獲得。

 

ハノーヴァー朝1714~現在
アン女王には子供がいなかったのでドイツからジョージ1世を招聘。現在はウィンザー朝と名前は変わっているがドイツ由来の名前を変えただけ。この王は英語もほとんど分からない上に国政に関心がなく、議会がかなり力を持つようになった。初代首相にホイッグ党ウォルポールが就任した。ホイッグ党がトーリ党に選挙で敗れて潔く辞任したことで責任内閣制、政党制が生まれた。

 

太陽王ルイ14世
幼い時の宰相マザランによりスペイン王女マリアテレーズと結婚。マザラン死後親政を宣言。朕は国家なりの言葉を残し王権神授説の神学者を重用し、重商主義をとる。フランスブルボン王政の最盛期。毛織物や武器など輸出で利益の出そうな分野を保護しマニュファクチュア創設。東インド会社復興など貿易会社に力を入れる。豊かになった財政を背景に中央集権化をすすめ、官僚機構や常備軍を整備した。ヴェルサイユ宮殿の建設は王権強化、文化発展には良かったが宮廷政治が盛んになりすぎてブルボン朝衰退の要因となった。
またカトリックに統一するためナントの勅令も廃止。国を支えた商人達が反発してイギリスやオランダに亡命が相次いだ。
対外戦争も繰り返した。
1 妻がスペイン女王だったので領土であった南ネーデルラントの領有権を主張し南ネーデルラント継承戦争が起きるもオランダイギリススペインの反対にあい撤兵した。
2 その恨みからオランダ侵略戦争を始める。イギリス、スウェーデンにはオランダに手を貸さない密約をしてオランダを孤立させるが、後にイギリス王となるオラニエ公が政権を握るとスペインオーストリアハプスブルク家、ドイツ諸侯を味方にしてフランスは一部領土獲得に留まった。
3 ファルツ継承戦争
ドイツのファルツを後継者争いに割って入り、オーストリア、オランダ、スペインはアウクスブルク同盟をつくり対抗。フランスはイギリスと手を組んでいたが名誉革命が起きてウィレム三世が王となり敵となってしまい、孤立しファルツ継承には失敗。
4 スペイン継承戦争
スペイン王の後継者をルイ14世の孫に継承させようとするがヨーロッパ各国の反対に合い思惑入り交じり複雑な戦争となる。基本はフランススペイン対オーストリアオランダイギリス。ユトレヒト条約で継承するもフランススペインの合邦は永久に禁止される。
実りの少ない対外戦争を繰り返しフランスは財政破綻する。

 

ヨーロッパ新興勢力

プロイセン
ドイツ騎士団領からの発展。ホーエンツォレルン家がスペイン継承戦争に参戦した功績から王国に格上げ。地主ユンカーに支えられた。初代国王がフリードリヒ一世。息子の二代目のフリードリヒ二世の時に強国となる。自ら先頭に立って富国強兵、官僚整備、文化育成まで努めるこのタイプを啓蒙専制君主と呼ぶ。オーストリア継承戦争などで領土拡大も果たす。

オーストリア
カール6世が南ネーデルラントやイタリア諸都市を手に入れ、娘のマリア・テレジアに継承者にする法律をつくり亡くなる。マリア・テレジアが即位すると周辺国が工業さかんなシュレジエン欲しさに法律を無視して占拠しプロイセン領となる。実利行使の時代だった。しかしマリア・テレジアフリードリヒ二世の非道ぶりをハンガリー議会に訴え動かす実力の持ち主だった。フリードリヒ二世に負けない啓蒙専制君主で近代化を図り富国強兵、中央集権化、病院や学校の建設などをした。
フランスと手を組む奇策でプロイセン七年戦争であと1歩まで追い詰める。
後継者は16人いる子供の一人ヨーゼフ二世。

ロシア
キャプチャクハン国支配下にあったがイヴァン三世が独立。雷帝イヴァン四世が恐怖政治をすすめる。息子を誤殺しリューリク朝は滅びる。騎馬集団コサックのイェルマークがシベリア探検。
代わってロマノフ朝。1613~1917啓蒙専制君主ピョートル1世。清とのネルチンスク条約で通商開始。 北方戦争スウェーデンに勝利しバルト海沿岸の強国に。
その後は次々と後継者が代わったがエカチェリーナ二世の時に再び輝く。啓蒙専制君主クリミア半島を手に入れる。

ポーランド分割
16世紀後半にヤゲウォ朝が断絶すると選挙王政に移行したが各国の介入、弱体化。プロイセンフリードリヒ二世オーストリアのヨーゼフ二世、ロシアのエカチェリーナ二世によりポーランド分割。愛国者コシューシコ義勇軍の抵抗むなしく三回の分割が起きて1795ポーランドは消滅。復活は第一次大戦終結まで100年以上後。