本のまとめ「読むだけですっきりわかる世界史近代編(後藤武士)1」

オスマン帝国と明

 

 

オスマン帝国1299~1922
東ローマ帝国との争いに勝って小アジアを占領、コソヴォの戦いにも勝ってバルカン半島も占領。4代皇帝バヤジット1世から即位する物の兄弟を殺すのが慣例となる。
教会代分裂を収束させたハンガリー王とニコポリスの戦いで対戦。キリスト教諸国対イスラムの戦いはオスマン帝国の勝利。しかし中央アジアティムール朝に敗れる。ティムール朝は明に遠征するも失敗し分裂。
オスマン帝国は版図を広げ続け、スレイマン1世の時に最盛期。ヨーロッパ奥まで行き1529ウィーンを包囲する。フランスとの友好のためフランス商人にカピチュレーションという特権を与える。
軍隊はスルタン(皇帝)のもと、騎士軍ティマールと奴隷などのイニチェリ軍で構成された。

 

 

明1368〜1644
元末期の紅巾の乱から台頭してきたのが農民出身の朱元璋。王としての名を光武帝
久々の漢民族王朝であり、初の江南からの王朝。6つの役所である六部を皇帝直属として独裁体制を取る。政策として五人組もどき里甲制、戸籍である魚鱗図冊と台帳である賦役考察を作成。朱子学を官学に。6つの教訓である六諭を発布。
次の皇帝は孫の建文帝。諸王の権力を削減したため朱棣が「君側の奸を取り除く」の大義名分の元、靖難の変を起こす。三代皇帝永楽帝となる。独裁で対外遠征に力を入れる。文化にも精を出す。アジアに名を轟かせ、日本含め朝貢貿易を盛んに行う。冊封体制。中国よりの室町三代将軍足利義満倭寇の取り締まりを求められ勘合貿易開始。四代義持はやめる。
朝鮮は高麗の武将、李成桂が朝鮮国1392〜1910を建国。中国冊封体制下に入る。ハングル文字の訓民正音が制定される。
15世紀初めには沖縄で琉球王国が建国される。マレー半島マラッカ王国ベトナムの黎朝。いずれも明の朝貢国となる。
第五代は反乱収束や領土見直しなど仁宣の治とたたえられる。しかし宦官の権力を強めた事で政治が乱れてくる。次の皇帝の時、モンゴル系部族オイラトが皇帝を捕らえる土木の変が起きるて権威は弱まっていく。北はオイラトタタール、南では倭寇(北虜南倭)に明は苦しめられ衰退していく。

長江上流が稲作中心となり、下流域では生糸や綿織物などが盛んになる。景徳鎮の陶磁器も。王陽明が新しい儒学である陽明学を完成させる。心即理知行合一など。科学技術書も発達、マテオリッチの世界地図「こんよ万国全図」が新しい地理感を与える。董其昌の文人画や四代奇書が人気を集める。