本のまとめ「読むだけですっきりわかる世界史中世編(後藤武士)8」

ヨーロッパの都市の発達

 

 

商業ルネッサンス
農業生産力の向上、遠隔地貿易、貨幣経済の発達による商業の復活
ヴェネツィアジェノアなどの地中海商業圏都市が東方との香辛料の貿易などで栄える。内陸部のミラノやフィレンツェは金融業や中継貿易で栄える。神聖ローマ帝国南下に対抗してミラノなどでロンバルディア同盟フィレンツェメディチ家誕生。
これらの都市は教皇から自治権を取得しコムーネと呼ばれる都市共和国形成。ハンブルクやロンドンなども貿易活動で北ヨーロッパ商業圏を形成。北ドイツ諸都市やフランドル地方などが栄える。
リューベックやロンドン、ノヴゴロドなどでハンザ同盟が作られる。共通の貨幣や度量衡、商法や軍などがあった。北海バルト海を結ぶ都市と地中海沿岸都市の間の都市のシャンパーニュ地方やアウクスブルクなどが栄える。アウクスブルクにはフッガー家台頭。

 

 

都市の生活
同業者によるギルド形成。最初は商人ギルドが力を持っていたが毛織物などの工業製品も発達して同職ギルドも力をつけ商人ギルドと争うようになる。ツンフト闘争
田舎から都市へ人が流れる。
                   

封建社会の崩壊
14世紀に入ると封建制と荘園制が崩壊を始める。商業が発達し農民も力を持つようになる。そんな中1348年を中心に黒死病(ペスト)が大流行し人口が激減し。農奴の地位が高まり、独立自営農民(ヨーマン)が生まれる。領主達の封建反動の動きに反発してジャックリーの乱やワットタイラーの乱が起きる。「アダムが耕しイヴが紡いだとき誰が貴族であったか」領主と騎士を兼ねるものも多かったが火砲が開発されて騎士も没落する。

 

 

教会の衰退
教会権も衰退。課税に反対したボニファティウス8世が淡麗王フランス国王フィリップ4世に捕れえられるアナーニ事件が起きる。また教皇庁をフランスのアビニョンに移した。教皇のバビロン捕囚。賢明王シャルル5世の時にローマに戻すがそれに反対するフランス聖職者が新たな教皇を立てて教皇が2人になってしまう。教会大分裂。ピサで公会議をした後には3人になってしまった。
教会改革を目指す動きが活発化。ウィクリフとフスによる教会批判。教会は破門、異端審問、魔女裁判で処罰しコンスタンツ公会議教皇を1人にして大分裂は終わったが、ウィクリフとフスを異端とした事が波紋を広げる。チェコベーメンではフス派による教皇と皇帝に対する戦争勃発。フス戦争。

 

 

イギリス
ノルマン朝最後の王ヘンリー1世が死んだ1135から18年間無政府時代になる。ヘンリーの娘と甥の争い。孫のアンリが即位してようやく落ち着く。アンリ=ヘンリー2世からの王朝をプランタジネット朝1154〜1339と呼ぶ。最初は領地拡大に走る。
次の失地王ことジョン王がダメで領地をたくさん失う。ダメすぎて貴族らに「王といえど法には従う」マグナカルタ(大憲章)を認めさせられる。
その息子のヘンリー3世はそれに従わなかったのでシモンドモンフォールに反乱を起こされ諮問議会(イギリス議会の母)を認めさせられる。
その息子のエドワード1世はフランスやスコットランドと何度も戦争した。戦費調達のために召集した議会が模範議会と呼ばれる。聖職者、貴族、各州2名の騎士、各都市2名の市民という割合が理想だったため。後に聖職者・貴族の貴族院、騎士と市民の庶民院の二院制による身分制議会が始まる。騎士は地主ジェントリとなって下院を支える。
エドワード1世がウェールズを支配して息子エドワード2世に与えた称号が今も残る称号プリンスオブウェールズ

 

 

フランス
カペー朝987〜1328のフィリップ2世(第三回十字軍でイギリスリチャード王と喧嘩)が、ダメ王のジョン王と戦って領地奪取。
その息子ルイ8世は南フランスへ版図拡大。異端のアルビジョワ派から支配権を得る。息子ルイ9世は6・7回目の十字軍を率いる。その孫フィリップ4世がアナーニ事件の王様。それに際し三部会を召集。聖職者・貴族・平民の代表で構成された身分制議会の元祖。彼の死後後継者に早世が多く衰退、滅亡。
ヴァロワ家出身のフィリップ6世によるヴァロワ朝1328〜1589が始まる。

 

 

100年戦争
イギリスのエドワード3世はカペー朝の血をひいていたためフランス王位継承権を主張した。毛織物産地のベルギーのフランドル地方をめぐって対立していた事もあり100年戦争勃発。最初は英国優勢。ノルマンディーに上陸しフランス北部カレー郊外クレシーを騎士道最後のクレシーの戦いで圧勝。イギリス軍はカレーの街を包囲。カレー市民とのエピソードあり。
ペスト流行で一時休戦し、その後次世代のフランスはジャン2世、イギリスはエドワード黒太子で争う。ポワティエの戦いでイギリスの勝利。ジャン2世は騎士道精神に溢れる。
その後のリチャード2世、シャルル6世で和平交渉。しかしシャルル6世は精神錯乱状態にフランスは内戦が始まる。シャルル6世の娘とヘンリー5世が婚姻し究極の和解方法が図られる。トロワ条約。それを認めないのがシャルル7世。ブルゴーニュ派とアルマニャック派の対立。イギリスを巻き込んだ内戦状態のフランスの危機に立ち上がったのが農民の娘、ジャンヌ=ダルク。の活躍によりイギリス軍を破る。カレーを除きイギリス領が大陸から消える。

 

 

薔薇戦争
フランスでは100年戦争で諸侯が疲弊し王権が強化される。
イギリスではヘンリー6世ランカスター派とそれに疑問を呈するリチャードをおすヨーク派による30年の薔薇戦争が起こる。両派が王位を右往左往しながらヘンリー7世からテューダー朝1485〜1603が始まる。

 

 

イベリア半島
西ゴート王国、ウヤイヤ朝、後ウマイヤ朝を経てレコンキスタが起こり1143ポルトガル王国建国。1469にカスティリャ王国のイザベル王女とアラゴン王国のフェルナンド王子が結婚し1479スペイン王国誕生。1492最後のイスラム王朝グラナダを陥落してレコンキスタが幕を閉じる。ポルトガル王国ジョアン2世は新航路の開拓を始める。

 

 

統一が遅れたドイツ・イタリア
ドイツの地にある神聖ローマ帝国は本国を疎かにしてイタリアにばかり介入するイタリア政策を取る事で統一が遅れる。周りから色々口を挟まれて1256〜1273まで大空位時代となる。その後の皇帝カール4世により金印勅書(黄金文書)が発布され皇帝は7人の選帝侯により選ばれるようになった。しかしこの7人が権力を持ち過ぎるようになり分権化が進み14世紀には領邦で独自政治を行うようになる。15世紀には大富豪ハプスブルク家が力を持つ。
イタリアは教皇を支持する商人中心の教皇党ゲルフと皇帝を支持する貴族や領主層中心の皇帝党ギベリンが争う。シチリアではシチリア王国に反乱を起こしたシチリアの晩鐘を経てシチリア王国ナポリ王国が分裂。アドリア海の女王ヴェネツィアジェノヴァフィレンツェ、ミラノなど都市が力を持ち統一が遅れる。

 

北欧ではデンマークスウェーデンノルウェーの3カ国で複数の国で同一君主を抱く同君連合であるカルマル同盟が結成。