本のまとめ「読むだけですっきりわかる世界史中世編(後藤武士)6」

東ヨーロッパ社会の形成と十字軍

 

 

東ローマ帝国ユスティニアヌス1世により領土拡大。地中海沿岸にローマ帝国の復興。三大法典「ローマ法大全」編纂。養蚕技術の輸入し絹織物業を興す。ビザンツ様式最高傑作ハギアソフィア聖堂を建てる。ギリシャ正教会以外の物には厳しくあたる。
ラクレイオス1世は地方分権にあたる軍管区制をつくる。8世紀に東西教会分裂。10世紀頃からブルガール人のブルガリア帝国セルジューク朝との戦いが起きる。西への援助を頼んで十字軍に繋がるが第4回十字軍の時にコンスタンティノープルが襲われラテン帝国を建てられる。

 


ビザンツ文化。公用語ギリシャ語。モザイク壁画のビザンツ様式。ハギアソフィア聖堂など。

 

 

スラヴ人
多くの東欧人の祖先。8世紀頃から個々の国家建設。大きく東、南、西に分かれる。

 

スラヴ人
東ローマ帝国の影響が強い。
ヴァイキングがロシアに建設したノヴゴロド国の一派が建国したキエフ公国。ノルマン人はスラヴ人と同化。キエフ公国最盛期はウラディミル1世。13世紀にモンゴル帝国バトゥが侵入してきてキプチャク・ハン国建国。モンゴル人の支配を「タタールのくびき」と言う。モスクワに出来たのがモスクワ大公国。イヴァン3世。滅亡寸前の東ローマ帝国の後継としてツァーリの称号を得る。

 

スラヴ人
セルビア人、クロアチア人、スロベニア
セルビア人は東ローマ帝国支配下の時にギリシャ正教に改宗し独立するも500年ほどオスマン朝支配下に入るがイスラム教にはならなかった。
クロアチア人はローマ・カトリックに改宗、ハンガリー支配下に。
スロベニア人もローマ・カトリックに改宗、フランク王国支配下に。

 

西スラヴ人
ポーランド人、チェック(チェコ)人、スロバキア人。
ローマ・カトリックに改宗。
ポーランド人王朝ピャスト朝、北にヤゲウォ朝。ブルガール人、マジャール人

 

 

十字軍成立
外敵に備えるだけだったヨーロッパキリスト教会が攻勢に出たのが十字軍。
東ローマ帝国セルジューク朝から脅かされてローマ教皇ウルバヌス二世に救援要請。
クレルモン公会議での名演説。
1回目の前に信仰心や新天地への期待から集まった民衆十字軍。

 

第一、二回十字軍
コンスタンティノープルに着いても思うような支援は得られなかったもののドタバタしながらエルサレムを奪還しエルサレム王国を建国1091~1291し、他にもいくつかの十字軍国家を建国。イタリア諸都市との東方貿易(レヴァント貿易)で潤う。傷病兵保護のヨハネ騎士団や商人巡礼者の道中警備のテンプル騎士団などの宗教騎士団設立。
セルジューク朝が盛り返し第二回を派遣するも失敗。

 

第三回十字軍
最も見所あり。イスラム勢力はアイユーブ朝サラディン。キリスト勢力は神聖ローマ帝国皇帝フリードリヒ一世(赤髭王)、フランス王国フィリップ二世(尊厳王)、イギリス国王リチャード一世獅子心王)。
サラディンエルサレムを無血占領した事で第三回を派遣。フリードリヒ一世は途中で溺死。フィリップとリチャードは仲が悪いので別々に出発。リチャードはキプロス島を落とし、アッコ旧市街のアッコンを陥落した後フィリップと喧嘩し、フィリップは帰国。リチャードのみでサラディンと戦うも、本国で弟ジョンが王位簒奪の情報が入り帰国。途中オーストリアで捕えられたりしながら王位を回復するも内政には関心がなく対外遠征に出発するも戦士する。

 

ラテン帝国
教皇インノケンティウス三世。神聖ローマ皇帝オットー4世やイギリス王ジョンやフランス国王フィリップ二世を破門。マグナ・カルタを認めさせるきっかけをつくるなどの教皇。活気を取り戻し始めたイスラム勢力を駆逐するために第四回十字軍結成。ところが戦費が集まらなくて同じキリスト教の街を襲って調達する始末。これはさすがにまずいと考え、コンスタンティノープルが嫌いなイタリア商人から資金援助してもらってコンスタンティノープルにラテン帝国を建国。実態はヴェネツィアの植民市だった。

 

その後の十字軍
1212少年十字軍の悲劇。五回は協定を結び六七回は失敗。
影響
1、教皇の権威が落ちる
2、皇帝や国王の権威が高まる
3、宗教騎士団登場
4、交易が盛んに
5、イタリア諸都市栄える

 

 

12世紀西欧文化
12世紀ルネッサンストマス・アクィナスのスコラ哲学、自然科学方法論ロジャーベーコン
神学、法学、医学の大学誕生。ボローニャ大学パリ大学、オックスフォード大学、ケンブリッジ大学
美術で教会建築、教会壁画。ピサの大聖堂などのロマネスク様式。パリのノートルダム大聖堂などのステンドグラスで飾られたゴシック様式
文学で騎士道物語。アーサー王物語など。吟遊詩人。
イスラム文化の影響ありキリスト教と騎士道精神。