本のまとめ「読むだけですっきりわかる世界史中世編(後藤武士)3」

イスラム教の始まり
東西交易の中継地として栄えたメッカに570年頃に生まれたのが創始者ムハンマド。瞑想中ジブリールからアッラーの教えを広めよという啓示を受ける。妻ハディーシャに支えられ預言者を自覚する。理解者の叔父と妻が亡くなった後はメディナへ移動しムスリム共同体ウンマを設立。この出来事を聖遷(ヒジュラ)と呼び622年7月16日を紀元1月1日とするのがイスラム暦メディナで力を付けたムハンマドはメッカを無血占領。異教徒は殺され多神教カーバ神殿イスラムの神殿となりメッカは聖地となる。

 

 

イスラムの教え
六進五行。アッラー、天使、啓典、預言者、来世、天命の6つを信じる六進。信仰告白、礼拝、断食、喜捨、巡礼の5つの行いをする義務が五行。最も重要なのがムハンマドが神に預けられた言葉をアラビア語で記したコーラン。聖書等も認めている。

 

 

正統カリフ時代632〜661
後継指導者をカリフと呼び、聖戦(ジハード)を繰り返し領土を拡張した。二代目ウマルは東ローマ帝国からシリア・エジプトを、ササン朝ペルシアをニハーヴァンドの戦いで破りイラン・イラクを征服した。アラブ人のムスリムを優遇し、人頭税ジズヤ・地租ハラージュを適用。三代目ウマイヤ家出身のウスマーンコーランを今の形に編纂。四代目アリーはムハンマドの従兄弟でムハンマドの娘ファーティマの夫であったから義理の息子でもあった。ここまでが正統カリフ時代。後に大分裂。三代目を殺したのがアリー派だったのでアリーを嫌っていたウマイヤ家のムアーウィヤはアリーに戦いを挑む。アリーは勝てたのに和睦したのでそれを批判するハワリージュ派に殺された。アリーの血統重視がシーア派。主流の穏健派が十二イマーム派、過激派がイスマーイール派。最高指導者はイマーム。今のイスラム教の1割。9割は代々のカリフをムハンマドの後継者と認めるスンニ派

 

 

ウマイヤ朝661〜680
ムアーウィヤが立てた。二代目ヤジードはアリーの子でイマームだったフサインをカルバラーの戦いで殺す。シーア派に重要な事件「カルバラーの悲劇」。カルバラーはシーア派の聖地となり殉教の日はアーシュラーと呼ばれる。
五代目マリクで立て直しと領土拡大。アラビア語公用語に。エルサレム岩のドーム建設。カーバ神殿ムハンマドの廟である預言者のモスクに次ぐイスラム教大三の聖地。六代目ワリード1世でイベリア半島まで支配する最大領土。その後のウマル2世は名カリフ。アラブ人以外のイスラム教徒への差別とマワーリー(他信教徒)への差別を撤廃。それまでのコーランか剣か→コーランか剣か貢納か。10代目の時にカールマルテル率いるフランク王国にトゥール・ポワティエ間の戦いで敗れ衰退する。ムハンマドの子孫のアッバース家によりアッバース革命が起きる。

 

 

アッバース朝750〜1258

アラブ人でなくともイスラムスンニ派であれば良い。イスラム帝国イスラム法。唐とのタラス河畔の戦いで捕虜から製紙法が伝わる。2代目で首都をバグダッドにする。五代目ハールーン=アッラシード王で最盛期。アラビアンナイト千夜一夜物語。その後衰退。
知事アミールが力を持つようになる。チュニジアにはシーア派過激組織イスマーイール派によるファーティマ朝909〜1171創設。首都をカイロにしてイスラム文化の中心に。
イベリア半島コルドバウマイヤ朝の生き残りが後ウマイヤ朝創設。
共にカリフを名乗るようになり、カリフが3人になる。さらにシーア派穏健派十二イマーム派ブワイフ家がブワイフ朝を興し大アミールを名乗り、預言者代理人ではなく神の代理人であったアッバース朝カリフの権威は地に落ちる。

 

 

トルコ人勢力台頭
軍人奴隷マムルークとして使われていたトルコ人が独占するようになり中央アジアにカラハン朝を興す10世紀~12世紀 セルジューク朝や西遼に吸収される
アフガニスタンのガズナに出来たのがガズナ朝962~1186 セルジューク朝ゴール朝に滅ぼされる

 

 

セルジューク朝1038~1194
トルコ人のトゥグリルベク これより先、スンニ派王朝君主は「世俗の君主」スルタンの称号を用いるようになる。二代目アルプ・アルスラーン東ローマ帝国に勝利するこれが後に西ローマ帝国への援軍要請、十字軍派遣となる。宰相ニザームアルムルクはイクター制という軍事を整備する。文化や学芸も保護。スンニ派学院マドラサなど。
三代目マリク・シャーが最盛期。この後衰退し、地方政権乱立。マンジケルトの戦いをきっかけにルーム・セルジューク朝、シリア・セルジューク朝ケルマーンセルジューク朝など

 

 

エジプトのイスラム王朝
エジプトにクルド人武将サラディンアイユーブ朝1169~1250設立。十字軍からエルサレム奪還、3回の十字軍に耐える。後の十字軍との攻防で消耗し先代スルタン未亡人にマムルーク朝を設立される。首都カイロはイスラムの中心となる。後にオスマン朝に滅ぼされる。

 

 

アフリカとイベリア半島イスラム諸国
エジプト以外の最古のアフリカの王朝がクシュ王国。その後メロエ王国、アクスム王国。西アフリカにガーナ王国。11世紀に北アフリカベルベル人ムラービト朝。この頃からアフリカのイスラム化。イベリア半島ではイスラムを追い出す国土回復運動レコンキスタが起きる。アフリカでもムワッヒド朝に滅ぼされる。イベリア半島最期のイスラム王朝グラナダナスル朝1232~1492 アルハンブラ宮殿
西アフリカにマリ王国やソンガイ王国、東の港湾都市ムスリム商人との貿易拠点となりスワヒリ語公用語に。

東南アジアマレー半島マラッカ王国イスラム

 


インドのイスラム
ガズナ朝とゴール朝が北インドに侵入してきて奴隷王朝が設立される。ここからデリーを本拠地としたイスラム王朝が五代続く。デリー・スルタン朝1206~1526

 

 

イスラム文化
都市を中心に発展。モスクやマドラサ神秘主義スーフィズム発達。歴史学者イブンハルドゥーン。ギリシャ語文献輸入によりアリストテレス哲学発達。千夜一夜物語。詩人ウマル・ハイヤーム。ムスリム商人の旅行家イプンバットゥータ。細密画や装飾アラベスク。ゼロの概念導入によるアラビア数字。医学でイブンシーナー、イブンルシュド。