本のまとめ「読むだけですっきりわかる世界史近代編(後藤武士)2」

大航海時代

 

15世紀末からヨーロッパ人が世界に乗り出した時代。羅針盤の改良、天文学や海図の発達などで海洋技術が向上し遠洋航海が可能になる。香辛料や元に仕えたマルコポーロ「世界の記述」で明らかにされた豊かなアジアを目指した。

 

 

ポルトガル
レコンキスタキリスト教布教の必要性を感じていたポルトガルはアフリカのセウタを侵略、ムスリム商人の話を聞いてエンリケ王子は航海事業を推し進める事にした。1488無欠王の名君、ジョアン2世の命により探検家バルトメウ=ディアスにより喜望峰に到達。中東のムスリム商人を経由しなくて良い利点があった。1498ヴァスコ=ダ=ガマが喜望峰経由でインドのカルカッタに到達。リスボンは世界の商業の中心となる。

 

 

スペイン
アラゴン王子フェルナンドとカスティリャ王女イザベルの結婚で誕生したスペインは1492グラナダを滅しレコンキスタ完了。王女の命で新航路でインドを目指したのがクリストファー=コロンブスコロンブスの卵のエピソードで有名。フィレンツェ天文学者トスカネリの地球球体説を信じて西廻り航路の開拓に挑む。最初はポルトガルに支援を頼むが喜望峰に到達していたので断られスペインに支援を頼んで1492出港。船員の暴動などが起きるもバハマ諸島のサンサルバドル島に到達。意味は「聖なる救世主」。インドだと思い込んでるのでカリブ海東部の島を西インド諸島、先住民をインディアンと名付ける。

 

 

トリデシリャス条約
新たな土地の領土問題がポルトガル・スペインの間で発生し、ローマ教皇が仲介し植民地境界線(教皇子午線)を設定。スペインに有利なものだったのでポルトガル名君ジョアン2世はスペイン国王に掛け合って線を西へ移動してもらう。これがトリデシリャス条約。後にシフトしたポルトガル側にカブラルによりブラジルが発見される。
コロンブスはインドだと主張し続けるが、1501年アメリゴ=ヴェスプッチによりアメリカ大陸がインドではない事がわかる。アメリゴにちなんでアメリカと命名され、新大陸と呼ばれるようになる。

 

 

マゼラン
スペイン国王の命でマゼラン一行は1519西回り航路で出発。マゼラン海峡を発見、1521フィリピンに到達。キリスト教への改宗を迫られたイスラム先住民達はラプラプ王の活躍でマゼラン軍を撃破、マゼランは戦死する。マゼラン一行は引き上げて1522世界一周を果たした。

 

 

コンキスタドール
スパインはコンキスタドール(征服者達)を次々に新大陸に送り込む。1521コルテスはメキシコのアステカ帝国を滅亡させる。1533ピサロはペルーやボリビアに栄えたインカ帝国を滅ぼす。
スペインのラス=カサス宣教師はインディオの奴隷化防止を訴えた。

本のまとめ「読むだけですっきりわかる世界史近代編(後藤武士)1」

オスマン帝国と明

 

 

オスマン帝国1299~1922
東ローマ帝国との争いに勝って小アジアを占領、コソヴォの戦いにも勝ってバルカン半島も占領。4代皇帝バヤジット1世から即位する物の兄弟を殺すのが慣例となる。
教会代分裂を収束させたハンガリー王とニコポリスの戦いで対戦。キリスト教諸国対イスラムの戦いはオスマン帝国の勝利。しかし中央アジアティムール朝に敗れる。ティムール朝は明に遠征するも失敗し分裂。
オスマン帝国は版図を広げ続け、スレイマン1世の時に最盛期。ヨーロッパ奥まで行き1529ウィーンを包囲する。フランスとの友好のためフランス商人にカピチュレーションという特権を与える。
軍隊はスルタン(皇帝)のもと、騎士軍ティマールと奴隷などのイニチェリ軍で構成された。

 

 

明1368〜1644
元末期の紅巾の乱から台頭してきたのが農民出身の朱元璋。王としての名を光武帝
久々の漢民族王朝であり、初の江南からの王朝。6つの役所である六部を皇帝直属として独裁体制を取る。政策として五人組もどき里甲制、戸籍である魚鱗図冊と台帳である賦役考察を作成。朱子学を官学に。6つの教訓である六諭を発布。
次の皇帝は孫の建文帝。諸王の権力を削減したため朱棣が「君側の奸を取り除く」の大義名分の元、靖難の変を起こす。三代皇帝永楽帝となる。独裁で対外遠征に力を入れる。文化にも精を出す。アジアに名を轟かせ、日本含め朝貢貿易を盛んに行う。冊封体制。中国よりの室町三代将軍足利義満倭寇の取り締まりを求められ勘合貿易開始。四代義持はやめる。
朝鮮は高麗の武将、李成桂が朝鮮国1392〜1910を建国。中国冊封体制下に入る。ハングル文字の訓民正音が制定される。
15世紀初めには沖縄で琉球王国が建国される。マレー半島マラッカ王国ベトナムの黎朝。いずれも明の朝貢国となる。
第五代は反乱収束や領土見直しなど仁宣の治とたたえられる。しかし宦官の権力を強めた事で政治が乱れてくる。次の皇帝の時、モンゴル系部族オイラトが皇帝を捕らえる土木の変が起きるて権威は弱まっていく。北はオイラトタタール、南では倭寇(北虜南倭)に明は苦しめられ衰退していく。

長江上流が稲作中心となり、下流域では生糸や綿織物などが盛んになる。景徳鎮の陶磁器も。王陽明が新しい儒学である陽明学を完成させる。心即理知行合一など。科学技術書も発達、マテオリッチの世界地図「こんよ万国全図」が新しい地理感を与える。董其昌の文人画や四代奇書が人気を集める。

本のまとめ「読むだけですっきりわかる世界史中世編(後藤武士)8」

ヨーロッパの都市の発達

 

 

商業ルネッサンス
農業生産力の向上、遠隔地貿易、貨幣経済の発達による商業の復活
ヴェネツィアジェノアなどの地中海商業圏都市が東方との香辛料の貿易などで栄える。内陸部のミラノやフィレンツェは金融業や中継貿易で栄える。神聖ローマ帝国南下に対抗してミラノなどでロンバルディア同盟フィレンツェメディチ家誕生。
これらの都市は教皇から自治権を取得しコムーネと呼ばれる都市共和国形成。ハンブルクやロンドンなども貿易活動で北ヨーロッパ商業圏を形成。北ドイツ諸都市やフランドル地方などが栄える。
リューベックやロンドン、ノヴゴロドなどでハンザ同盟が作られる。共通の貨幣や度量衡、商法や軍などがあった。北海バルト海を結ぶ都市と地中海沿岸都市の間の都市のシャンパーニュ地方やアウクスブルクなどが栄える。アウクスブルクにはフッガー家台頭。

 

 

都市の生活
同業者によるギルド形成。最初は商人ギルドが力を持っていたが毛織物などの工業製品も発達して同職ギルドも力をつけ商人ギルドと争うようになる。ツンフト闘争
田舎から都市へ人が流れる。
                   

封建社会の崩壊
14世紀に入ると封建制と荘園制が崩壊を始める。商業が発達し農民も力を持つようになる。そんな中1348年を中心に黒死病(ペスト)が大流行し人口が激減し。農奴の地位が高まり、独立自営農民(ヨーマン)が生まれる。領主達の封建反動の動きに反発してジャックリーの乱やワットタイラーの乱が起きる。「アダムが耕しイヴが紡いだとき誰が貴族であったか」領主と騎士を兼ねるものも多かったが火砲が開発されて騎士も没落する。

 

 

教会の衰退
教会権も衰退。課税に反対したボニファティウス8世が淡麗王フランス国王フィリップ4世に捕れえられるアナーニ事件が起きる。また教皇庁をフランスのアビニョンに移した。教皇のバビロン捕囚。賢明王シャルル5世の時にローマに戻すがそれに反対するフランス聖職者が新たな教皇を立てて教皇が2人になってしまう。教会大分裂。ピサで公会議をした後には3人になってしまった。
教会改革を目指す動きが活発化。ウィクリフとフスによる教会批判。教会は破門、異端審問、魔女裁判で処罰しコンスタンツ公会議教皇を1人にして大分裂は終わったが、ウィクリフとフスを異端とした事が波紋を広げる。チェコベーメンではフス派による教皇と皇帝に対する戦争勃発。フス戦争。

 

 

イギリス
ノルマン朝最後の王ヘンリー1世が死んだ1135から18年間無政府時代になる。ヘンリーの娘と甥の争い。孫のアンリが即位してようやく落ち着く。アンリ=ヘンリー2世からの王朝をプランタジネット朝1154〜1339と呼ぶ。最初は領地拡大に走る。
次の失地王ことジョン王がダメで領地をたくさん失う。ダメすぎて貴族らに「王といえど法には従う」マグナカルタ(大憲章)を認めさせられる。
その息子のヘンリー3世はそれに従わなかったのでシモンドモンフォールに反乱を起こされ諮問議会(イギリス議会の母)を認めさせられる。
その息子のエドワード1世はフランスやスコットランドと何度も戦争した。戦費調達のために召集した議会が模範議会と呼ばれる。聖職者、貴族、各州2名の騎士、各都市2名の市民という割合が理想だったため。後に聖職者・貴族の貴族院、騎士と市民の庶民院の二院制による身分制議会が始まる。騎士は地主ジェントリとなって下院を支える。
エドワード1世がウェールズを支配して息子エドワード2世に与えた称号が今も残る称号プリンスオブウェールズ

 

 

フランス
カペー朝987〜1328のフィリップ2世(第三回十字軍でイギリスリチャード王と喧嘩)が、ダメ王のジョン王と戦って領地奪取。
その息子ルイ8世は南フランスへ版図拡大。異端のアルビジョワ派から支配権を得る。息子ルイ9世は6・7回目の十字軍を率いる。その孫フィリップ4世がアナーニ事件の王様。それに際し三部会を召集。聖職者・貴族・平民の代表で構成された身分制議会の元祖。彼の死後後継者に早世が多く衰退、滅亡。
ヴァロワ家出身のフィリップ6世によるヴァロワ朝1328〜1589が始まる。

 

 

100年戦争
イギリスのエドワード3世はカペー朝の血をひいていたためフランス王位継承権を主張した。毛織物産地のベルギーのフランドル地方をめぐって対立していた事もあり100年戦争勃発。最初は英国優勢。ノルマンディーに上陸しフランス北部カレー郊外クレシーを騎士道最後のクレシーの戦いで圧勝。イギリス軍はカレーの街を包囲。カレー市民とのエピソードあり。
ペスト流行で一時休戦し、その後次世代のフランスはジャン2世、イギリスはエドワード黒太子で争う。ポワティエの戦いでイギリスの勝利。ジャン2世は騎士道精神に溢れる。
その後のリチャード2世、シャルル6世で和平交渉。しかしシャルル6世は精神錯乱状態にフランスは内戦が始まる。シャルル6世の娘とヘンリー5世が婚姻し究極の和解方法が図られる。トロワ条約。それを認めないのがシャルル7世。ブルゴーニュ派とアルマニャック派の対立。イギリスを巻き込んだ内戦状態のフランスの危機に立ち上がったのが農民の娘、ジャンヌ=ダルク。の活躍によりイギリス軍を破る。カレーを除きイギリス領が大陸から消える。

 

 

薔薇戦争
フランスでは100年戦争で諸侯が疲弊し王権が強化される。
イギリスではヘンリー6世ランカスター派とそれに疑問を呈するリチャードをおすヨーク派による30年の薔薇戦争が起こる。両派が王位を右往左往しながらヘンリー7世からテューダー朝1485〜1603が始まる。

 

 

イベリア半島
西ゴート王国、ウヤイヤ朝、後ウマイヤ朝を経てレコンキスタが起こり1143ポルトガル王国建国。1469にカスティリャ王国のイザベル王女とアラゴン王国のフェルナンド王子が結婚し1479スペイン王国誕生。1492最後のイスラム王朝グラナダを陥落してレコンキスタが幕を閉じる。ポルトガル王国ジョアン2世は新航路の開拓を始める。

 

 

統一が遅れたドイツ・イタリア
ドイツの地にある神聖ローマ帝国は本国を疎かにしてイタリアにばかり介入するイタリア政策を取る事で統一が遅れる。周りから色々口を挟まれて1256〜1273まで大空位時代となる。その後の皇帝カール4世により金印勅書(黄金文書)が発布され皇帝は7人の選帝侯により選ばれるようになった。しかしこの7人が権力を持ち過ぎるようになり分権化が進み14世紀には領邦で独自政治を行うようになる。15世紀には大富豪ハプスブルク家が力を持つ。
イタリアは教皇を支持する商人中心の教皇党ゲルフと皇帝を支持する貴族や領主層中心の皇帝党ギベリンが争う。シチリアではシチリア王国に反乱を起こしたシチリアの晩鐘を経てシチリア王国ナポリ王国が分裂。アドリア海の女王ヴェネツィアジェノヴァフィレンツェ、ミラノなど都市が力を持ち統一が遅れる。

 

北欧ではデンマークスウェーデンノルウェーの3カ国で複数の国で同一君主を抱く同君連合であるカルマル同盟が結成。

 

 

本のまとめ「読むだけですっきりわかる世界史中世編(後藤武士)7」

モンゴル帝国1206〜1271

 

世界史上最大の帝国
テムジン=チンギス・ハン 
千戸制。行政組織、軍事組織を全国民統一。最強騎士軍団誕生。イスラム王朝のホラズム朝を滅ぼす。
三男オゴタイが後継者となり次男のチャガタイチャガタイハン国。
金を滅ぼす。南宋には苦戦。首都をカラコルムに。駅伝制整備。
西方指揮官バトゥが有能で東欧まで侵入、ポーランド・ドイツ連合軍もワールシュタットの戦いで破る。しかしオゴタイの死の報で帰国。後継者争いで揉める様子にバトゥはモンゴル帝国を見限り、キャプチャクハン国建国。
四代目モンケが即位して落ち着き、指揮官フラグによりアッバース朝を滅ぼす。モンケ死後そのままイルハン国建国。

 

 

五代目フビライ・ハン
中国支配に力を入れる。国号を元とする。二重統治体制。中枢はモンゴル人、その下に諸部族出身者の色目人。中国人は冷遇。南宋や高麗を滅ぼす。貿易が盛んになりムスリム商人の隊商が盛んになり、広州などの港が栄える。高鈔という紙幣も流通。
ローマ教皇からプラノ・カルピ二、フランス王からルブルックが派遣されてくる。西欧にモンゴル情報が伝わる。東方見聞録のヴェネツィア商人マルコポーロフビライに17年間仕えた。
帝国にイスラム教が広がる。天文学の授時暦。初期イルハン国がキリスト教保護だったので使者モンテコルヴィノは中国初の大司教に。チベット仏教も盛んになりパスパ文字も考案される。
元は支配下地域の文化に介入しなかったので、文化も花開く。歴史小説水滸伝」「西遊記」「三国志演義」はこの時代にまとめられる。

 

 

衰退
分割相続による分裂、広がりすぎて地方は独立、ペスト流行などで衰退。
チャガタイハン国からティムール朝、キャプチャクハン国からモスクワ大公国が台頭。高鈔乱発でインフレ、塩専売などで不満が高まり白蓮教が農民支持を得て、紅巾の乱が起こる。朱元璋が明を建国。

 

本のまとめ「読むだけですっきりわかる世界史中世編(後藤武士)6」

東ヨーロッパ社会の形成と十字軍

 

 

東ローマ帝国ユスティニアヌス1世により領土拡大。地中海沿岸にローマ帝国の復興。三大法典「ローマ法大全」編纂。養蚕技術の輸入し絹織物業を興す。ビザンツ様式最高傑作ハギアソフィア聖堂を建てる。ギリシャ正教会以外の物には厳しくあたる。
ラクレイオス1世は地方分権にあたる軍管区制をつくる。8世紀に東西教会分裂。10世紀頃からブルガール人のブルガリア帝国セルジューク朝との戦いが起きる。西への援助を頼んで十字軍に繋がるが第4回十字軍の時にコンスタンティノープルが襲われラテン帝国を建てられる。

 


ビザンツ文化。公用語ギリシャ語。モザイク壁画のビザンツ様式。ハギアソフィア聖堂など。

 

 

スラヴ人
多くの東欧人の祖先。8世紀頃から個々の国家建設。大きく東、南、西に分かれる。

 

スラヴ人
東ローマ帝国の影響が強い。
ヴァイキングがロシアに建設したノヴゴロド国の一派が建国したキエフ公国。ノルマン人はスラヴ人と同化。キエフ公国最盛期はウラディミル1世。13世紀にモンゴル帝国バトゥが侵入してきてキプチャク・ハン国建国。モンゴル人の支配を「タタールのくびき」と言う。モスクワに出来たのがモスクワ大公国。イヴァン3世。滅亡寸前の東ローマ帝国の後継としてツァーリの称号を得る。

 

スラヴ人
セルビア人、クロアチア人、スロベニア
セルビア人は東ローマ帝国支配下の時にギリシャ正教に改宗し独立するも500年ほどオスマン朝支配下に入るがイスラム教にはならなかった。
クロアチア人はローマ・カトリックに改宗、ハンガリー支配下に。
スロベニア人もローマ・カトリックに改宗、フランク王国支配下に。

 

西スラヴ人
ポーランド人、チェック(チェコ)人、スロバキア人。
ローマ・カトリックに改宗。
ポーランド人王朝ピャスト朝、北にヤゲウォ朝。ブルガール人、マジャール人

 

 

十字軍成立
外敵に備えるだけだったヨーロッパキリスト教会が攻勢に出たのが十字軍。
東ローマ帝国セルジューク朝から脅かされてローマ教皇ウルバヌス二世に救援要請。
クレルモン公会議での名演説。
1回目の前に信仰心や新天地への期待から集まった民衆十字軍。

 

第一、二回十字軍
コンスタンティノープルに着いても思うような支援は得られなかったもののドタバタしながらエルサレムを奪還しエルサレム王国を建国1091~1291し、他にもいくつかの十字軍国家を建国。イタリア諸都市との東方貿易(レヴァント貿易)で潤う。傷病兵保護のヨハネ騎士団や商人巡礼者の道中警備のテンプル騎士団などの宗教騎士団設立。
セルジューク朝が盛り返し第二回を派遣するも失敗。

 

第三回十字軍
最も見所あり。イスラム勢力はアイユーブ朝サラディン。キリスト勢力は神聖ローマ帝国皇帝フリードリヒ一世(赤髭王)、フランス王国フィリップ二世(尊厳王)、イギリス国王リチャード一世獅子心王)。
サラディンエルサレムを無血占領した事で第三回を派遣。フリードリヒ一世は途中で溺死。フィリップとリチャードは仲が悪いので別々に出発。リチャードはキプロス島を落とし、アッコ旧市街のアッコンを陥落した後フィリップと喧嘩し、フィリップは帰国。リチャードのみでサラディンと戦うも、本国で弟ジョンが王位簒奪の情報が入り帰国。途中オーストリアで捕えられたりしながら王位を回復するも内政には関心がなく対外遠征に出発するも戦士する。

 

ラテン帝国
教皇インノケンティウス三世。神聖ローマ皇帝オットー4世やイギリス王ジョンやフランス国王フィリップ二世を破門。マグナ・カルタを認めさせるきっかけをつくるなどの教皇。活気を取り戻し始めたイスラム勢力を駆逐するために第四回十字軍結成。ところが戦費が集まらなくて同じキリスト教の街を襲って調達する始末。これはさすがにまずいと考え、コンスタンティノープルが嫌いなイタリア商人から資金援助してもらってコンスタンティノープルにラテン帝国を建国。実態はヴェネツィアの植民市だった。

 

その後の十字軍
1212少年十字軍の悲劇。五回は協定を結び六七回は失敗。
影響
1、教皇の権威が落ちる
2、皇帝や国王の権威が高まる
3、宗教騎士団登場
4、交易が盛んに
5、イタリア諸都市栄える

 

 

12世紀西欧文化
12世紀ルネッサンストマス・アクィナスのスコラ哲学、自然科学方法論ロジャーベーコン
神学、法学、医学の大学誕生。ボローニャ大学パリ大学、オックスフォード大学、ケンブリッジ大学
美術で教会建築、教会壁画。ピサの大聖堂などのロマネスク様式。パリのノートルダム大聖堂などのステンドグラスで飾られたゴシック様式
文学で騎士道物語。アーサー王物語など。吟遊詩人。
イスラム文化の影響ありキリスト教と騎士道精神。

本のまとめ「読むだけですっきりわかる世界史中世編(後藤武士)5」

宋と北方民族の台頭
10世紀からモンゴル台頭前夜までの中国と周辺民族について

 

 


中国東北部遊牧民族契丹族長の耶律阿保機が遼を建てる。三代目の時に華北の燕雲十六州の割譲を受けた。中国初の征服王朝。モンゴルは部族制、中国は州県制の二重統治体制。ウイグルと中国両方の文化が影響。契丹文字など。

 

 

宋960-1279
将軍の趙匡胤文治政治への転換。科挙を整備。軍事力が低下し遼に支配下になる。澶淵の盟。官戸や形勢戸と呼ばれる科挙合格者となるような地主層が力を持つ。西北からはソンツェンガンポ率いる吐蕃チベット仏教。観世音菩薩の化身=ダライ・ラマ吐蕃ウイグルを破った西夏も宋の脅威となる。

 

 

宰相、王安石の新法。
農業商業の保護と財政健全化、富国強兵。
農業:青苗法、禁輸法 商業:市易法 税:募役法、方田均税法 軍:保甲法、保馬法
支持する新法党VS否定する旧法党

 

 

金1115~1234
契丹支配下女真族の族長、完顔阿骨打が遼から独立。遼を滅ぼす。遼の皇族、耶律大石が西遼を建てる。宋も滅ぼし金の王二人を連行する。靖康の変。

 

 

南宋1127~1279
金から逃れて江南に設立。和平派の秦檜VS反対派の岳飛は秦檜の勝利。金の支配下にはいり後の中国から蔑まれる。金は遼と同じく二重統治体制で遊牧地区では猛安ぼうこくせい。

 

 

文化
宋の首都開封は商業発達。市場の草子、小都市の鎮、商人組合の行、手工業組合の作。会子や交子という紙幣。南宋後は江南発達。陶磁器の白磁青磁文治政治で学問発達。周敦頤に始まり大成させた朱熹朱子)の宋学朱子学)。文学、司馬光資治通鑑。欧陽脩や蘇軾。美術、院体画や文人画。禅宗や全真教。のちのルネッサンス三大発明の活版印刷羅針盤、火薬はすでに宋の時に実用化。後にイスラムからヨーロッパへ伝わる。

本のまとめ「読むだけですっきりわかる世界史中世編(後藤武士)4」

南北アメリカ古代文明

インディアンは氷河時代にアジアからモンゴロイドが渡って行った。トウモロコシ、サツマイモ、トマトは南米大陸発祥。
メキシコ湾岸にオルメカ文明、顔の巨石。
4世紀頃ユカタン半島マヤ文明
数学と天文学に優れる。川ではなく泉。鉄器や滑車・車輪、家畜を通らず。16世紀頃スペインに滅ぼされる。

 

 

メキシコシティ郊外のテオティワカン文明→トルテカ文明アステカ文明ケツァルコアトル神殿。16世紀スペインに滅ぼされる。

 

 

南米 ナスカ文明やチャビン文明、チムー帝国インカ帝国 スペインが来て天然痘が猛威をふるい、滅ぼされる